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東京高等裁判所 昭和42年(う)51号 判決 1967年4月18日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

<前略>所論は、まづ、原判決の事実誤認を主張し、原判示荻野正夫、中山ユキヱおよび小室鶴吉の三名は、いづれも麻薬中毒者ではなく、被告人は右三名の中毒症状を緩和するために、原判示麻薬を施用したものではない、というのである。よつて、当裁判所は記録を検討して次のとおり判断する。

まづ、被告人が右三名に対し原判示麻薬を施用した当時、右三名が麻薬中毒者であつたかどうかの点について審案するのに、次の事実が明らかである。すなわち、荻野正夫は昭和三十五年右季肋部痛を訴え日立市木村医院において鎮痛のため麻薬を施用したのを始めとして昭和三十六年四月より同年末まで年間十回、昭和三十七年には当初毎月一回ないし三回、十一月よりは月七回、十二月は九回、昭和三十八年より昭和四十年九月十九日まで、毎月、四、五日に一回の割合で麻薬を連続施用したものである。同人は覚せい剤中毒の経験があつて薬物に耽溺し易い性癖があり、覚せい剤廃止後は酒に耽つて、前記腹部等疼痺に際し連続麻薬を施用したため薬物に対する嗜癖をもつに至り、昭和三十七年秋頃以降は身体的にも肉体的にも麻薬に対する依存を生じ、これを抑制し得ない状態、すなわち麻薬中毒症に陥つたことが認められる。同人には麻薬施用を必要とする疾病は何一つ存在しないのに、鎮痛のため当初麻薬を施用しそれを無思慮に連用したため麻薬欲求に基づく観念感覚として迎合的疼痛を訴えたがそれは本来的な疾病に基づくものではなく、麻薬施用に起因する精神痛であつて、むしろ麻薬中毒症の現われとみるべきものであつた。次に、中山ユキヱは昭和二十五年に発病昭和二十六年水戸市日本赤十字病院において診察の結果胆石病が証明された。同人も昭和三十三年六月と八月の二回にわたり鎮痛のため麻薬を施用したのを始めとして、昭和三十四年には一月、三月、四月、十二月に合計十一回、昭和三十五年には五月より十二月までの間に連続して計六十三回、昭和三十七年には一月より七月まで計三十九回、昭和三十八年には二月より十二月まで計五十四回、昭和三十九年より昭和四十年三月十六日まで毎月十数回麻薬を連続施用したものである。同人には胆石病があつたため、一時的緊急の措置として麻薬の施用も許容し得ないものではなかつたけれども、麻薬施用は極めて短期間にそれに対する欲求を作り、麻薬中毒を誘発する導因となるからその反覆施用は絶対に回避すべきところ、前記の如くこれを反覆連用したため、昭和三十七年夏頃以降は、本来の疾病に基づく疼痛によるものではなく、麻薬に対する欲求として観念感覚としての精神痛を覚えるに至り、麻薬に対する精神的、身体的依存を生じこれを自制することが極めて困難な状態すなわち、麻薬中毒症に陥つた事実が認められる。次に小室鶴吉は、昭和三十六年腹痛を訴えて麻薬を施用し始め同年十二月より昭和三十九年五月まで毎月数回麻薬を連続施用し、殊に昭和三十八年には腸捻転のため二回開腹手術をうけその前後には多量の麻薬を施用している。同人は右開腹手術の後腸管腹膜の癒着を生じ屡々腹痛を訴えたが、その痛みはしくしく痛む程度のもので、その鎮痛のために麻薬を施用する必要はなく、同人の場合も麻薬を施用する医学的理由は極めて薄弱であるのに無思慮に麻薬を連続施用したため麻薬に対する精神的、身体的依存を生じこれを自制することの極めて困難な状態すなわち麻薬中毒症をきたし、昭和三十九年春以降麻薬を廃止したことにより右中毒症も解消した事実が認められる。すなわち、被告人が右三名に対し原判示麻薬を施用した当時、右三名がそれぞれ麻薬中毒者であつた事実は明瞭である。

次に被告人は右三名の麻薬中毒症状を緩和するために原判示麻薬を施用したものか否か、その犯意について審案する。まづ、被告人は荻野正夫については胃潰瘍ないし胃炎の疑いありと診断し、中山ユキヱについては前記胆石症、小室鶴吉に対しては腸捻転ないし、腸管癒着等とそれぞれ診断したのであるが、右各疾病治療のため本件麻薬を使用したものではない。麻薬施用が右疾病治療に役立つものでないことは言うまでもなく、鎮痛のため一時的緊急の措置としてその施用が許されても、これを連続施用することは臨床医学上許されないのであつて、その連続施用は極めて短期間にして麻薬中毒症を招来するものであることは、麻薬施用をその業として認められている医師として当然理解すべきことであり、当然理解していたものと認められる。被告人は前記荻野正夫、中山ユキヱらより麻薬施用を求められて、麻薬の中毒になるから続けてはならない趣旨の忠告を自らしており、同人らの来院をつとめて敬遠していた事実も明らかであつて、被告人は、前記三名が麻薬の連用によつて前記詳述のような麻薬中毒症に陥り、その症状緩和のために、更に継続して麻薬の施用を要求するものであることを知悉しながらこれを施用した事実を認め得るのである。

被告人は、昭和四十一年六月茨城県衛生部長の茨城県医師会長宛の「麻薬中毒者の概念」と題する書面によつて麻薬中毒とは麻薬に対する精神的身体的欲求を生じ、これを自制することが困難な状態すなわち「麻薬に対する精神的身体的依存の状態」という広い概念であることを知つたが、それまでは、被告人が医学学習以来理解していた麻薬中毒者とは耐薬性の上昇習慣性の固定、および禁断現象の発現の三条件を充足したもの、という判断に基づいて前記三名はいづれも麻薬中毒者に該当しないものと判断していたと主張するけれども、右茨城県衛生部長の通達は、当時茨城県下に開業する医師の間に、麻薬取締法違反の犯罪が多発したため、医師が麻薬中毒症という概念を曖昧にして、自ら麻薬事犯に陥ることのないようこれを警告する意味をもつて、右概念を簡明に解示して同事犯の防遏を期したものであつて、麻薬中毒症という医学上の概念を拡張したり、縮少したりこれを変更する趣旨のものでないことは、同通達中に明記するところによつても明らかである。前記の如く被告人は端的に前記三名を中毒症状にあるものと判断していたことは明瞭であり、所論三条件を勘案してこれを中毒者に非ずと判断したという所論は徒らな責任回避の弁疎にすぎないものと断じなければならない。

(その余の判決理由は省略する)(関谷六郎 内田武文 小林宣雄)

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